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関東大震災
1923(大正12)年9月1日午前11時58分、関東大震災が発生した。
マグニチュードは7.9で、家屋の全半壊25万戸以上、焼失家屋44万戸以上、津波による流失家屋868戸、死傷者20万人以上、行方不明者4万人以上という甚大な被害をもたらした。
ちょうど昼食準備の時間だったため、地震の後に大火災が発生し、被害がさらに大きくなった。
防災の日
伊勢湾台風が襲来した翌年の1960(昭和35)年に閣議決定。
関東大震災の惨事を教訓として、防災意識を高める日。
毎年、各地で防災訓練が行われる。
宝塚歌劇団レビュー記念日
宝塚歌劇団が1989(平成元)年に制定。
1927(昭和2)年、宝塚少女歌劇団が日本初のレビュー『モン・パリ』の初演を行った。
宝くじの日
第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)宝くじ部が1967(昭和42)年に制定。
「く(9)じ(2)」の語呂合せ。
当選しても引き換えられず時効となってしまう宝くじが多いことから、時効防止のPRの為に制定された。
はずれくじの敗者復活がある。
ホームラン記念日
1977(昭和52)年、後楽園球場で巨人の王貞治選手が通算756号ホームランを打ち、それまでアメリカ大リーグのハンク・アーロンが持っていた世界最高記録を更新した。
2日後の9月5日に、政府は初の国民栄誉賞を贈り、その栄誉を讃えた。
王選手は引退までに868本のホームランを打った。
くしの日
美容関係者らが1978(昭和53)年に制定。
美容週間実行委員会が実施。
「く(9)し(4)」の語呂合せ。
美容関係者がくしを大切に扱い、また、美容に対する人々の認識を高めてもらう為に制定された。
関西国際空港開港記念日
1994(平成6)年9月4日午前0時、関西国際空港が開港した。
世界初の本格的な海上空港で、日本初の24時間運用空港でもある。
航空審議会が「泉州沖が最適」と答申してから20年目のことだった。
国民栄誉賞の日
1977(昭和52)年、2日前の9月3日に通算ホームラン数の世界最高記録を作った王貞治が、日本初の国民栄誉賞を受賞した。
国民栄誉賞とは、前人未到の偉業を成し遂げ、多くの国民から敬愛され、夢と希望を与えた人に贈られる賞で、現在までに王貞治・古賀政男・長谷川一夫・植村直己・山下泰裕・衣笠祥雄・美空ひばり・千代の富士・
藤山一郎・長谷川町子・服部良一・渥美清・吉田正・黒澤明・高橋尚子の15人が受賞(H18.8.1 現在)している。
妹の日
現代に活躍する女性の多くが妹であることを発見した「兄弟型姉妹型」研究の第一人者で漫画家の畑田国男さんが1991(平成3)年に制定。
妹の可憐さを象徴する乙女座(8月23日〜9月23日)の中間の日の前日。
毎年、その年に活躍した「妹」だけを対象とした「日本妹大賞」を授与している。
CMソングの日
1951(昭和26)年、初めてCMソングを使ったラジオCMがオンエアされた。
小西六(現在のコニカ)の「さくらフイルム」のCMだったが、歌の中に社名・商品名は入っていなかった。
国際識字デー(International Literacy Day)
1965(昭和40)年、イラン国王が軍事費の一部を識字教育に回すことを提案したことを記念して、ユネスコが制定。
国際デーの一つ。
「識字」とは、「文字の読み書きができる」という意味で、現在世界には戦争や貧困等によって読み書きのできない人が10億人以上いると言われている。
サンフランシスコ平和条約調印記念日
1951(昭和26)年、サンフランシスコで対日講和会議が開かれ、その最終日であるこの日、日本と連合国の間で「日本との平和条約(サンフランシスコ平和条約)」と「日米安全保証条約」が調印された。
日本を含めて59か国が調印したが、ソ連等3か国が調印を拒否し、中国は最初から招待されなかった。
この時の日本の全権大使は吉田茂首相だった。
聖母マリア誕生の祝日
キリストの母であり全人類の母である聖母マリアの誕生日を記念する日。
マリアの両親は聖ヨアキムと聖アンナで、聖母マリアの夫・聖ヨセフと同じようにユダヤ人の王ダビデの子孫だった。
聖母マリアの誕生により旧約の時代から長い間準備されてきたメシア(救世主)の到来が実現に近づくこととなった。
菊の節句,重陽の節句
奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なることから「重陽」と呼ばれる。
陽の極が2つ重なることからたいへんめでたい日とされ、邪気を払い長寿を願って、菊の花をかざったり酒を酌み交わして祝ったりしていた。
カラーテレビ放送記念日
1960(昭和35)年、NHK・日本テレビ・ラジオ東京テレビ(現在のTBS)・読売テレビ・朝日放送の5局がカラーテレビの本放送を開始した。
公衆電話の日
1900(明治33)年、日本初の自動公衆電話が、東京の新橋と上野駅前および熊本市内に設置された。
当時は「自動電話」と呼ばれていて、交換手を呼びだしてからお金を入れて相手に繋いでもらうものだった。
1925(大正14)年、ダイヤル式で交換手を必要としない電話が登場してから「公衆電話」と呼ばれるようになった。
警察相談の日
警察庁が1999(平成11)年に制定。
警察への電話相談番号「9110」から。
9110に電話すると警視庁と各道府県警察本部に設置されている総合相談室につながり、この日に限らず1年中、各種事件の困りごとの相談に応じる。
宇宙の日
科学技術庁(現在の文部科学省)と文部省宇宙科学研究所が1992(平成4)年に制定。
日附は一般公募で決められた。
1992(平成4)年、毛利衛さんがアメリカのスペースシャトル・エンデバーで宇宙へ飛びたった日。
マラソンの日
紀元前450年、ペルシャの大軍がアテネを襲いマラトンに上陸したのをアテネの名将ミルティアデスの奇策でこれを撃退し、フェイディピデスという兵士が伝令となってアテネの城門まで走りついてアテネの勝利を告げたまま絶命したと言われる日。
1896(明治30)年アテネで第1回オリンピックが開かれるに当り、この故事を偲んでマラトンからアテネ競技場までの競走が加えられ、初めてのマラソン競走が行われた。
乃木大将の日
1912(大正元)年、乃木希典大将が、明治天皇の大喪の日に、夫人とともに殉死した。
自宅のあった地に、乃木大将を祀った乃木神社が建てられた。
世界の法の日
1965(昭和40)年、9月13日から20日までワシントンで開催された「法による世界平和第2回世界会議」で、9月13日を「世界法の日」とすることが宣言された。
1961(昭和36)年、東京で開催された「法による世界平和に関するアジア会議」で「世界法の日」の制定が提唱され、2年後の1963(昭和38)年アテネで開かれた「法による世界平和第1回世界会議」で可決され、第2回世界会議で宣言されたものである。
この日とは別に、日本では1960(昭和35)年から10月1日を「法の日」としている。
コスモスの日
プレゼントにコスモスを添えて交換し、お互いの愛を確認しあう日。
老人の日
2002(平成14)年1月1日改正の「老人福祉法」によって制定。2003(平成15)年から「祝日法」の改正によって「敬老の日」が9月第3月曜日となるのに伴い、従前の敬老の日を記念日として残す為に制定された。
国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意慾を促す日。
スカウトの日
1974(昭和49)年に5月5日を含む日を「スカウト週間」として制定。1990(平成2)年に「スカウト奉仕の日」に改称して9月15日に変更し、翌1991年に「スカウトの日」に再度改称した。
奉仕活動を通じて地域社会へ貢献するとともに、ボーイスカウトの活動が地域社会に根ざした実践活動であることを広く社会にアピールする日。
ボーイスカウトではこの日から新しい年度が始る。
シャウプ勧告の日
1949(昭和24)年、シャウプ勧告が公表された。
シャウプ勧告とは、アメリカ・コロンビア大学のカール・シャウプ博士を団長とする税制調査団による税制改革案で、戦後の税制の基礎となった。
国際オゾン層保護デー(International Day for the Preservation of the Ozone Layer)
1995(平成7)年の国連総会で「9月16日を国際オゾンデーとする」ことを決議。
国際デーの一つ。
1987(昭和62)年、「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」が採択された。
1999(平成11)年までにフロンガス等の消費量を半分にする方針が決定され、日本等24か国が議定書に調印した。
モノレール開業記念日
東京モノレールが制定。
1964(昭和39)年、浜松町〜羽田空港(現在の羽田空港駅とは別)の東京モノレールが開業した。
日本初の旅客用モノレールだった。
遊覧用のものでは1957(昭和32)年に上野動物園に作られたものが最初だった。
満洲事変記念日
1931(昭和6)年、満洲事変が起った。
満洲支配をねらう関東軍が、奉天郊外・柳條湖の南満洲鉄道(満鉄)の線路を爆破した。
関東軍は、それが中国国民政府軍の犯行であると報告し、満鉄沿線で行動を起こして数日のうちに満洲南部の要地を占拠した。
苗字の日
1870(明治3)年、戸籍整理のため、太政官布告により平民も苗字を持つことが許された。
しかし、なかなか苗字を持とうとしなかったため、1875(明治8)年2月13日に、全ての国民が姓を名乗ることが義務づけられた。
空の日
1940(昭和15)年に「航空の日」として制定。戦争中中断されていたが、1953(昭和28)年に復活。
運輸省(現在の国土交通省)航空局が1992(平成4)年に「空の日」改称した。
1911(明治44)年、山田猪三郎が開発した山田式飛行船が、滞空時間1時間の東京上空一周飛行に成功した。
日本で最初の飛行に成功したのは、1910(明治43)年12月19日に東京・代々木錬兵場で徳川大尉が行った飛行実験だった。
しかし12月では気候的に「航空日」の行事に適さないため、帝都上空一周飛行が行われた9月20日を「航空日」とした。
国際平和デー,世界停戦日
1981(昭和56)年、コスタリカの発案により国連総会によって制定。
当初は国連総会の通常会期の開催日である9月第3火曜日だったが、2002(平成14)年からは9月21日に固定された。
2002年から、この日は「世界の停戦と非暴力の日」として実施され、この日一日は敵対行為を停止するよう全ての国、全ての人々に呼び掛けている。
ファッションショーの日
1927(昭和2)年、銀座の三越呉服店で日本初のファッションショーが行われた。
一般から図案を募集した着物のファッションショーで、初代水谷八重子ら3人の女優がモデルとなった。
国際ビーチクリーンアップデー
アメリカ・サンフランシスコに本部のある海洋自然保護センターが1985(昭和60)年から実施。
この日に近い週末に、世界各地で一斉に海岸のごみを拾い集め、その数量・種類等を調べることによって、海洋のゴミの発生元や、地球環境への影響を調査している。
海王星の日
1846年、ベルリン天文台のガレが海王星を発見した。
1781年の天王星の発見以降、その軌道がニュートンの天文力学に合わないのは、その外側にさらに惑星があるためだと考えられていた。
そのためいろいろな科学者が天王星の軌道の乱れ等を元に未知の惑星の大きさや軌道・位置を計算した。
そして、フランスのル・ベリエが計算で予言した場所に新しい惑星が発見された。
イギリスのアダムスもその場所を突き止めていたため、ル・ベリエとアダムスが共同発見者とされている。
万年筆の日
1809年、イギリスのフレデリック・バーソロミュー・フォルシュが金属製の軸内にインクを貯蔵できる筆記具を考案し、特許をとった。
清掃の日
環境省が実施(2000年までは厚生省)。
1971(昭和46)年、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」(廃棄物処理法, 廃掃法)が施行された。
藤ノ木古墳記念日
1985(昭和60)年、奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳の石室等が発堀された。
藤ノ木古墳は直径約48m、高さ約9mの円墳で、古墳時代後期の6世紀後半に作られたものと考えられている。
1985(昭和60)年に第1次調査、1988(昭和63)年6月に国内の発掘調査史上初めてファイバースコープを使った石棺の内部調査が行われ、その年の10月8日に1400年ぶりに石棺の蓋が開かれた。
未盗掘で埋葬当時の姿がほぼそのまま残っており、当時の埋葬儀礼を解明する上で貴重な資料を提供した。
ワープロの日
1978(昭和53)年、東芝が世界初の日本語ワープロを発売した。
値段は630万円だった。
伊勢湾台風の日
1959(昭和34)年、東海地方等に台風15号が来襲し、明治以来最大の被害をもたらした。
全国で死者・行方不明者は5000人を超え、57万戸の家屋が被害を受けた。
この台風は、後に「伊勢湾台風」と呼ばれるようになった。
世界観光の日
世界観光機関(WTO)が制定。
WTO加盟各国で、観光推進のための活動が行われる。
女性ドライバーの日
1917(大正6)年、栃木県の渡辺はまさんが、日本の女性としては初めて自動車の運転免許を取得した。
パソコン記念日
1979(昭和54)年、日本電気(NEC)がパーソナルコンピュータPC-8000シリーズを発売し、パソコンブームの火附け役となった。
プライバシーデー
1964(昭和35)年、三島由紀夫の小説『宴のあと』でプライバシーを侵害されたとして有田八郎元外務大臣が作者と発行元の新潮社を訴えていた裁判で、東京地裁がプライバシー侵害を認め、三島由紀夫に損害賠償を命じる判決を出した。
日本でプライバシーが争点となった初めての裁判だった。
日中国交正常化の日
1972(昭和47)年、日本と中華人民共和国との間の国交正常化共同声明(日中共同声明)の調印式が北京で行われ、田中角栄、周恩来両首相が署名した。
クレーンの日
日本クレーン協会とボイラ・クレーン協会が1980(昭和55)年に制定。
「クレーン等安全規則」が公布された日。
クレーン等の関係者が労働災害の防止について一層認識を深め、基本に立ち返って安全作業の周知・徹底を図る日。
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