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エイプリルフール,万愚節
罪のない嘘をついて良いとされる日。日本では「四月馬鹿」とも呼ばれる。
その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが、1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。
これに反発した人々が4月1日を「嘘の新年」として位置づけ、馬鹿騒ぎをするようになったのがエイプリルフールの始まりとされている。
また、インドでは悟りの修行は春分の日から3月末まで行われていたが、すぐに迷いが生じることから、4月1日を「揶揄節」と呼んでからかったことによるとする説もある。
新学年
学年度始めの日。
4月1日から翌年の3月31日を「年度」として括る。
元々日本では、特に入学の時期は定められておらず、年中入学可となっているのが普通だった。
1886(明治19)年10月に、高等師範学校が学年暦を4月1日からと定め、1888(明治21)年から全国一斉にこれにならうようになった。
ただし、大学や高等学校では欧米の習慣に合わせて9月に新学期を始めていた。
4月1日生まれの人は、前年度の3月生まれの人と一緒に入学することになる。
これは、学校教育法で「保護者は、子女の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初から(中略)就学させる義務を負う。」と規定しているためである。
「年齢計算ニ関スル法律」では「年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス」とし、「民法」第143条では年を単位として期間を定めた場合には、起算日の応答日の前日に期間が満了することとしている。
つまり、4月1日に生まれた人は、その6年後の3月31日をもって五歳の期間が満了することになり、その翌日の4月1日に始まる学年から小学校に入学するのである。
新会計年度
4月1日から翌年の3月31日を「年度」として括る。
江戸時代までは、暦年とは別の「年度」というものはなく、1月から12月までで会計を行っていた。
しかし、明治維新の後、政府の財政が苦しく、暦年と合わせることができなくなって「年度」が作られた。
その為、当初は年度の始期が頻繁に変えられた。
1886(明治19)年に、現在の4月から翌年3月までとなった。
会計年度の始期が4月1日となったのは、秋の収獲後の徴税の都合の為であるとされている。
また、イギリスでかつて3月25日を新年としており、金銭の精算に一週間の猶予が認められていたからとする説もある。
週刊誌の日
1922(大正11)年、『週刊朝日』と『サンデー毎日』が創刊された。
国際こどもの本の日
日本国際児童図書評議会等が1996(平成8)年に制定。
デンマークの童話作家・アンデルセンの誕生日。
五百円札発行記念日
1951(昭和26)年、岩倉具視の肖像の500円札が初登場した。
1982(昭和57)年に500円硬貨が発行され、現在では見かけなくなった。
愛林日
1934(昭和9)年から実施。
1895(明治28)年に来日したノースロップ博士が講演で「愛林日(Arbor Day)」の精神を説き、1898(明治31)年、本多静六林学博士の提唱により神武天皇祭の4月3日が「植栽日」となった。
1933(昭和8)年に大日本山林会会長・和田国次郎、農林次官・石黒忠篤らにより、4月2日から4日までの3日間を「愛林日」として、全国一斉に愛林行事を催すことが提唱され、翌年、日本初の中央植樹行事が茨城県の「鬼が作国有林」で行われた。
この中央植樹行事は現在「全国植樹祭」となっている。
神武天皇祭
1874(明治7)年から1948(昭和23)年まで大祭日となっていた。
神武天皇崩御の日とされ、宮中の皇霊殿で儀式が行われた。
神武天皇は第1代の天皇で、名前は神日本磐余彦尊[かんやまといはれびこのみこと]。
日本書紀によれば、日向国(現在の宮崎県)から東征し、瀬戸内海から難波(現在の大阪府)に上陸。
熊野・吉野を通って大和(現在の奈良県)を平定し、紀元前660年1月1日(新暦2月11日)、大和の橿原宮で即位した。
日本橋開通記念日
1911(明治44)年、東京の日本橋が木橋から石橋に架け替えられた。
日本橋は、江戸時代から現在まで日本の道路交通の中心となっている。
橋の中央に、国道の起点となる「日本国道路元標」が設置されている。
ペルー日本友好の日
ペルー政府が1989(平成元)年8月20日に制定。
1899年、日本人移民790人が佐倉丸でペルーのアンコン港に上陸した。
沖縄県誕生の日
1879(明治12)年、琉球藩を廃し沖縄県とすることが布告され、沖縄県が誕生した。
あんぱんの日
1875(明治8)年、明治天皇が水戸邸の下屋敷を訪れる際に、木村屋のあんぱんが出された。
木村屋の木村安兵衛が当時の侍従・山岡鉄舟に「これまでは京都の和菓子をお出しすることが多かったが、純日本製のパンをお出ししたらどうか」ともちかけられた。
木村安兵衛は、それまでのあんぱんに工夫をこらし、日本を代表する花である八重桜の塩漬をいれた桜あんぱんを開発した。
ヨーヨーの日
「ハイパーヨーヨー」を製造しているおもちゃメーカーのバンダイが制定。
「ヨー(4)ヨー(4)」の語呂合せ。
1998(平成10)年のこの日には、ジャパンヨーヨーアソシエーション(JYYA)が設立された。
この日とは別に、ヨーヨーを世界的に有名にした立役者であるドナルド・F.ダンカンの誕生日6月6日もヨーヨーの日になっている。
ヘアカットの日
1872(明治5)年、東京府が女子の断髪禁止令を出した。
前年に散髪、脱刀が許可されたが、これを受けて断髪をする女性が続出したため、「男性に限って許可した断髪を女性が真似てはならない」とする禁止令を発布した。
デビューの日
1958(昭和33)年、読売巨人軍の長嶋茂雄がデビューした。
これに因んで、その年デビューした新人にエールを送る日。
城の日
兵庫県姫路市が1991(平成3)年に、日本三大名城の一つ姫路城を中心とした市の復興の為に制定。
「し(4)ろ(6)」の語呂合せ。
姫路城は、1333(元弘3)年に赤松則村によって築かれた。
西国統治の重要拠点として羽柴秀吉・池田輝政・本多忠政が城を拡張し、現在の形になったのは1619年であった。
五層六階の大天守と三つの小天守とがあり、その形から白鷺城とも呼ばれる。
1912(大正元)年に国宝に、1993(平成5)年に世界文化遺産に指定された。
北極の日
1909(明治42)年、アメリカ海軍の軍人ロバート・ピアリーが、世界で初めて北極点に到達した。
世界保健デー(World Health Day)
世界保健機関(WHO)が1949(昭和24)年に制定。
国際デーの一つ。
1946(昭和21)年にニューヨークでの国際保健会議で採択された世界保健機関憲章に基づき、1948(昭和23)年のこの日にWHOが設立された。
「すべての人々が可能な最高の健康水準に到達すること」を目的としている。
花祭り(潅仏会,仏生会,浴仏会)
釈迦の降誕を祝して行う法会。
各地の寺では花御堂を設け、堂の中に水盤を置いて釈迦の立像を中央に安置し、参詣者が御像に甘茶を注いでお参りする。
甘茶をかけるのは、釈迦の誕生の時9つの龍が天から清浄の水を注ぎ産湯を使わせたという伝説に由来する。
関西では月遅れの5月8日に行われる。
忠犬ハチ公の日
忠犬ハチ公銅像及び秋田犬群像維持会が制定。
1936(昭和11)年から、この日に慰霊祭が行われている。
ハチ公は、東大農学部の上野英三郎博士に飼われていた秋田犬だった。
1923(大正12)年に秋田県大館市で生まれ、1924(大正13)年から上野博士に飼われることになった。
上野博士の存命中は、玄関先や門の前で上野博士を見送り、時には渋谷駅まで送り迎えすることもあった。
そして、上野博士が1925(大正14)年5月に突然亡くなった後も、毎日渋谷駅前で主人の帰りを待ち続けた。
主人を慕うハチ公の一途な姿は人々に感銘を与え、忠犬と呼ばれるようになり、1934(昭和9)年4月、渋谷駅前に銅像が建てられた。
銅像の除幕式にはハチ公自身も出席している。
そして1935(昭和10)年3月8日に10歳余りで一生を終えた。
ハチ公の銅像は第2次大戦中に供出され、現在のものは1947(昭和22)年8月に再建されたものである。
ヴィーナスの日
1820年、エーゲ海のメロス島で耕作中の農夫が畑の中からヴィーナス像を発掘した。
翌年、パリのルーブル美術館が収蔵した。
「ミロのヴィーナス」として知られており、紀元前100年頃に作られたとされている。
大仏の日
752(天平勝宝4)年、奈良・東大寺の大仏開眼供養が行われた。
婦人参政記念日
1946(昭和21)年、戦後初の総選挙で初めて婦人参政権が行使され、39人の女性代議士が誕生した。
四万十の日
高知県中村市の四万十の日実行委員会が1989(平成元)年に制定。
「し(4)まんと(10)」の語呂合せ。
高知県の四万十川は全長196kmで、本流にダム等がなく、日本最後の清流と言われている。
瀬戸大橋開通記念日
1988(昭和63)年、瀬戸大橋が開通し、本州と四国が橋で結ばれた。
瀬戸大橋は、岡山県倉敷市と香川県坂出市との間の9.4kmの海峡部を結ぶ橋で、道路・鉄道併用の6つの橋から構成されている。
ガッツポーズの日
1974(昭和49)年のこの日、東京の日大講堂で行われたボクシングWBCライト級タイトルマッチで、挑戦者のガッツ石松がチャンピオンのロドルフォ・ゴンザレスに対し8ラウンドKO勝ちした。
その時両手を挙げて勝利の喜びを表わした姿を、新聞記者が「ガッツポーズ」と表現したのが、喜びのポーズ「ガッツポーズ」の始りと言われている。
メートル法公布記念日
1921(大正10)年、改正「度量衡法」が公布され、法律によりメートル法を使用することが定められた。
世界宇宙飛行の日
1961(昭和36)年、世界初の有人宇宙衛星船・ソ連のボストーク1号が打ち上げに成功した。
搭乗したガガーリン少佐は、宇宙から地球を見た時の感想を「地球は青かった」と表現し、流行語になった。
東京大学創立記念日
1877(明治10)年、東京開成学校と東京医学校を併合して東京大学が開設された。
法学部・理学部・文学部・医学部の4学部が設けられた。
パンの記念日
パン食普及協議会が1983(昭和58)年3月に制定。
1842(天保13)年、伊豆韮山代官の江川太郎左衛門英龍が軍用携帯食糧として乾パンを作った。
これが日本で初めて焼かれたパンと言われている。
また、毎月12日を「パンの日」としている。
喫茶店の日
1888(明治21)年、東京・上野に日本初の喫茶店「可否茶館」が開業した。
1階がビリヤード場、2階が喫茶室の2階建て洋館で、1杯2銭の牛乳よりも安い1銭5厘で提供していたが、5年で閉店した。
決闘の日
1612(慶長17)年、美作の浪人・宮本武蔵と細川家指南役・佐々木小次郎の決闘が、豊前小倉沖の無人島・巌流島(舟島)で行われた。
タイタニック号の日
1912(明治45)年、処女航海中のイギリスの大型客船タイタニック号が、北大西洋ニューファントランド沖で氷山に激突し、翌日未明に沈没した。
乗客乗員2208人のうち1513人の儀牲者を出した。
事故の原因や被害には、救命設備・流氷の監視・無線電信等さまざまな問題が関連しており、その後の船の安全確保について多くの教訓が得られた。
ヘリコプターの日
全日本航空事業連合会が1986(昭和61)年に制定。
ヘリコプターの原理を考え出したレオナルド・ダ・ビンチの1452年の誕生日。
ヘリコプターの重要性をPRし、第2の空の足として認識してもらうことを目的としている。
チャップリンデー
1889(明治22)年、20世紀最大の映画作家・喜劇俳優のチャールズ・チャップリンがイギリスで生まれた。
口ひげ、だぶだぶのズボン、どた靴、ステッキ、山高帽という独特のスタイルで社会を風刺し、世界的な人気者になった。
『モダン・タイムス』『ライムライト』等多数の作品を作った。
ボーイズビーアンビシャスデー
1877(明治10)年、札幌農学校(現在の北海道大学農学部)の基礎を築いた教頭・クラーク博士が、
「Boys, be ambitious.(少年よ、大志を抱け)」
という有名な言葉を残して北海道を去った。
女子マラソンの日
1978(昭和53)年、日本初の女子フルマラソンの大会が東京・多摩湖畔で開かれた。
参加者は49人だった。
恐竜の日
1923(大正12)年、アメリカの動物学者ローイ・チャップマン・アンドルーズがゴビ砂漠へ向けて北京を出発した。
その後5年間に及ぶ旅行中に、恐竜の卵の化石を世界で初めて発見し、その後の本格的な恐竜研究の始りになった。
ハローワークの日,職安記念日
1947(昭和22)年、それまでの職業紹介所が「公共職業安定所」と名前を改めた。
現在は「ハローワーク」という愛称で呼ばれている。
公共職業安定所は、職業紹介・職業指導・失業保険等、「職業安定法」の目的を達するための事業を無料で行う施設である。
発明の日,特許制度執行記念日
発明協会が1954(昭和29)年に制定。
1885(明治18)年、現在の「特許法」の元となる「専売特許条例」が公布された。
よい歯の日
日本歯科医師会(日歯)が1993(平成5)年に制定。
「よ(4)い(1)歯(8)」の語呂合せ。
地図の日,最初の一歩の日
1800(寛政12)年閏4月19日、伊能忠敬が蝦夷地の測量に出発した。
郵政記念日
逓信省(現在の日本郵政公社)が1934(昭和9)年に「逓信記念日」として制定。
逓信省が郵政省・電気通信省の二省に分割された1950(昭和25)年に「郵政記念日」と改称、1959(昭和34)年に「逓信記念日」に戻されたが、2001(平成13)年の省庁再編に伴い再び「郵政記念日」となった。
1871(明治4)年3月1日(新暦4月20日)、それまでの飛脚制度に代わり新しく郵便制度を実施した。
東京・京都・大阪の三都市と東海道線の各駅で、郵便物の取扱、切手の発行が始まった。
翌年にはほぼ全国的に実施された。
青年海外協力隊の日
1965(昭和40)年、青年海外協力隊(JOCV)が発足した。
青年海外協力隊では、アジア・アフリカ・中南米を中心とする発展途上国の国作りを支援する為に、2000人を超える満20歳から39歳までの人達がボランティアとして活躍している。
民放の日
日本民間放送連盟(民放連)が1968(昭和43)年に「放送広告の日」として制定。
1993(平成3)年に「民放の日」に改称した。
1951(昭和26)年のこの日、日本で初めて民放16社に放送の予備免許が与えられ、翌1952(昭和27)年のこの日に民放連が発足した。
アースデー(地球の日)
アースデー世界協議会等が主催。
1970(昭和45)年、アメリカの市民運動指導者で、当時大学生だったデニス・ヘイズが提唱。
地球全体の環境をまもる為、ひとりひとりが行動を起こす日。
1970(昭和45)年から1990(平成2)年までは10年に1度実施されていたが、1991(平成3)年からは毎年開催されている。
サンジョルディの日,世界本の日
日本書店組合連合会、日本カタロニア友好親善協会等が1986(昭和61)年に制定。
スペイン・カタロニア地方には、この日、守護聖人サン・ジョルディを祭り、女性は男性に本を、男性は女性に赤いバラを贈る風習がある。
この日は「ドン・キホーテ」の作者セルバンテスの命日でもあるため、スペインでは「本の日」とされている。
日本でもこの風習を定着させようと制定された。
地ビールの日
日本地ビール協会を中心とする「地ビールの日選考委員会」が1999(平成11)年に制定、2000(平成12)年から実施。
日附は公募により選定された。
1516年、バイエルン国王ウィルヘルム4世が発布した「ビール純粋令」により、水、ホップ、大麦・小麦の麦芽、酵母だけがビールの醸造に使用できることとなって、「ビールとは何か」が世界で初めて明確に定義された。
また、この日はドイツの「ビールの日」にもなっている。
国際マルコーニデー
世界で初めて無線による通信を行ったマルコーニを記念する日。
マルコーニはイタリアのボローニャに生まれた。
1885(明治18)年、自宅の窓からモールス信号で2.4kmの無線通信に成功した。
これが世界初の無線通信だった。
翌年アメリカに渡り、大西洋横断3600kmの通信に成功している。
1909(明治42)年にノーベル物理学賞を受賞し、1937年に63歳でこの世を去った。
日本ダービー記念日
1932(昭和11)年、目黒競馬場で日本初のダービー(東京優駿競争)が開催された。
イギリスのダービーステークスに傚って企画された。出走は19頭で、優勝したのは1番人気のワカタカだった。
ダービーは元々、第12代ダービー卿が始めた、ロンドン郊外で開催されるサラブレット3歳馬ナンバーワンを決めるレースの事で、イギリス競馬界最高の行事だった。
後に、日本を始め世界各国でそれに傚った「ダービー」という名前を附けたレースが開催されるようになった。
植物学の日
1862(文久2)年、植物分類学者の牧野富太郎が高知県佐川町の豪商の家に生まれた。
94歳でこの世を去るまでの生涯を植物研究に費やして、新種・変種約2500種を発見・命名し、「植物学の父」と呼ばれた。
国連記念日
1945(昭和20)年、サンフランシスコで連合国50か国代表による会議が開催され、国連憲章が採択された。
ギロチンの日
1792年、フランスでギロチンが実用化された。
当時はフランス革命後の恐怖政治により、毎日何百人もの人が処刑されていた。
そこで、内科医で国民議会議員だったジョゼフ・ギヨタンが、受刑者に無駄な苦痛を与えず、しかも全ての身分が同じ方法でできるような「単なる機械装置の作用」により行うよう議会で提言し、その案が採択された。
外科医のアントワヌ・ルイが設計の依頼を受けて、各地の断頭台を研究し、刃を斜めにする等の改良を加えた。
このため当初は、ルイの名前をとって「ルイゼット(Louisette)」とか「ルイゾン(Louison)」と呼ばれていたが、この装置の人間性と平等性を大いに喧伝したギヨタンの方が有名になり、ギヨタンから名前をとった「ギヨチーヌ(Guillotine)」(ドイツ語読みで「ギロチン」)という呼び名が定着した。
フランスでは1981年9月に死刑が廃止され、それとともにギロチンの使用もなくなった。
リメンバー・チェルノブイリ・デー
1986(昭和61)年、ソ連ウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所で、大爆発事故が発生した。
周辺の地域に大量の放射能が撒き散らされ、史上最悪の原発事故となった。
哲学の日
紀元前399年、ギリシアの哲学者・ソクラテスが、時の権力者から死刑宣告を受けて、刑の執行として獄中で毒を飲んで亡くなった。
アテナイ(現在のアテネ)で活動し、対話的問答を通じて相手にその無知(無知の知)を自覚させようとしたが、アテナイ市民には受け入れられず、告発され死刑判決が下された。
弟子たちは脱獄を勧めたが、「悪法も法」だと言って毒杯を煽ったのだった。
国会図書館開館記念日
1897(明治30)年、「帝国図書館官制」が公布、1872(明治5)年に書籍館として創設された東京図書館が「帝国図書館」と改称され、欧米の国会図書館に倣って整備拡充を図ることとなった。
1947(昭和22)年12月4日に国立図書館と改称、1949年に国立国会図書館支部上野図書館とされ、蔵書は国立国会図書館中央館に引き継がれた。
婦人警官記念日
1946(昭和21)年、警視庁で日本初の婦人警官62人が勤務に就いた。
GHQの指示によるもので、2月21日に募集要項が出され、1300人が応募した。
サンフランシスコ講和記念日
外務省が実施。
1952(昭和27)年、前年9月8日に調印された「日本との平和条約」(サンフランシスコ平和条約)が発効し、日本の主権が回復、国際社会に復帰した。
象の日
1729(享保14)年、交趾国(現在のベトナム)からの献上品として清の商人により初めて日本に渡来した象が、中御門天皇の御前で披露された。
その後江戸に運ばれ、5月27日に将軍徳川吉宗の御覧に供された。
缶ジュース発売記念日
1954(昭和29)年、明治製菓が日本初の缶ジュース・明治オレンジジュースを発売した。
みどりの日(Greenery Day)
「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」国民の祝日。
1989(昭和64)年1月7日の昭和天皇崩御の後、それまでの天皇誕生日を「生物学者であり自然を愛した昭和天皇をしのぶ日」として「緑の日」とすることとなった。
しかし、実際に制定された法律では、昭和天皇を偲ぶという趣旨は盛り込まれなかった。
このため、「昭和の日」に改称する法律案が超党派の国会議員により提出され、何度かの廃案の後に成立し、2007(平成19)年からは4月29日が「昭和の日」となり、5月4日が「みどりの日」となる。
昭和天皇の誕生日
1949(昭和24)年から1988(昭和63)年までは、昭和天皇の誕生日を記念した国民の祝日「天皇誕生日」だった。
天長節
1927(昭和2)年から1948(昭和23)年までは「天長節」という祝日で、四大節(新年・紀元節・天長節・明治節)の一つとされていた。
天長節は775(宝亀6)年、光仁天皇によって始められ、一時中断していたが、1868(明治元)年に復活した。
明治天皇の誕生日は旧暦では9月22日で、太新暦を採用した1873(明治6)年以降は11月3日に変更された。大正天皇の誕生日は8月31日だった。
図書館記念日
1971(昭和46)年の全国図書館大会で決定され、日本図書館協会が翌1972(昭和47)年から実施。
1950(昭和25)年、「図書館法」が公布された。
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