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ビキニ・デー
1954(昭和29)年、太平洋のビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、附近を航行していたまぐろ漁船「第五福竜丸」の乗組員が被曝した。
この日、世界で反核集会等が行われる。
遠山の金さんの日
1840(天保11)年、遠山の金さんこと遠山左衛門尉影元が北町奉行に任命された。
雛祭り
女の子の健やかな成長を願う伝統行事。女の子のいる家庭では、雛人形を飾り、白酒・菱餅・あられ・桃の花等を供えて祀る。
上巳の日には、人形に穢れを移して川や海に流していたが、その人形が次第に精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展して行った。
雛祭りは始めは宮中や貴族の間で行われていたが、やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には庶民の行事となった。
元々は、5月5日の端午の節句とともに男女の別なく行われていたが、江戸時代ごろから、豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、端午の節句は菖蒲の節句とも言われることから、「尚武」にかけて男の子の節句とされるようになった。
上巳[じょうし],桃の節句
上巳の節句は五節句の一つで、元々は3月上旬の巳の日だったが、後に3月3日に行われるようになった。
旧暦では3月3日は桃の花が咲く季節であることから「桃の節句」とも言われる。
古来中国では、上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣があった。
これが平安時代に日本に取り入れられた。
後に、紙で小さな人の形(形代[かたしろ])を作ってそれにけがれを移し、川や海に流して不浄を祓うようになった。
この風習は、現在でも「流し雛」として残っている。
耳の日
日本耳鼻咽喉科学会が1956(昭和31)年に制定。
「み(3)み(3)」の語呂合せ。
また、三重苦のヘレン・ケラーにサリバン女史が指導を始めた日であり、電話の発明者グラハム・ベルの誕生日でもある。
耳や聴力への関心を高め、聴覚障害の予防・治療を徹底する為の記念日。
ミシンの日
ミシン発明200年を記念して日本家庭用ミシン工業会(現在は日本縫製機械工業会)が1990(平成2)年に制定。
「ミ(3)シ(4)ン」の語呂合せ。
イギリスのトーマス・セイントが世界で初めてミシンの特許を取得したのは1790(寛政2)年だった。
「ミシン」という名前は、 "sawing machine"(裁縫機械)の"machine"がなまったものである。
三線の日
沖縄県の琉球放送が制定。
「さん(3)し(4)ん」の語呂合せ。
三線[さんしん]は、蛇味線[じゃみせん]とも呼ばれる沖縄の楽器で、三味線の元となったとされている。
円の日
1869(明治2)年、明治政府が貨幣を円形として金銀銅の貨幣を鋳造する円貨の制度を定めた。
ミスコンの日
1908(明治41)年、時事新報社が全国から「良家の淑女」を対象に写真を募集し、その審査結果を公表した。
これが日本初のミスコンテストとなった。
1等に選出されたのは小倉市長・末弘直方の四女・ヒロ子で、学習院女子部3年に在学中だった。
コンテスト参加は学習院で大問題となり、彼女は退学処分になってしまった。
スチュワーデスの日
1931(昭和6)年、東京航空輸送が実施した日本初のスチュワーデス採用試験の結果が発表された。
「エアガール」という呼び名で募集され、2月5日に試験が行われた。
140人の応募に対し、合格者は3人だった。
珊瑚の日
「さん(3)ご(5)」の語呂合せと、珊瑚が3月の誕生石であることから。
ジャンヌ・ダルクの日
1429年、イギリスとの百年戦争で苦戦するフランス皇太子シャルル7世のもとに、神の命を受けたというジャンヌ・ダルクが現れた。
以後、彼女の活躍で戦況は一変したが、翌年イギリス軍に捕えられ、宗教裁判にかけられて火あぶりにされた。
世界一周記念日
1967(昭和42)年、日本航空の世界一周西回り路線が営業を開始した。
それまでは日米航空協定により、日本の航空会社は世界一周路線を持てなかった。
消防記念日
1948(昭和23)年、「消防組織法」が施行された。
明治以来消防は警察の所管とされていたが、これにより、条例に従って市町村長が消防を管理する「自治体消防制度」となり、各市町村に消防本部・消防署・消防団の全部または一部を設置することが義務附けられた。
これを記念し、2年後の1950(昭和25)年、国家消防庁(現在の消防庁)がこの日を消防記念日とした。
国際女性デー(International Women's Day)
国際的な婦人解放の記念日。国際デーの一つ。
1910(明治43)年の第2インターナショナルのコペンハーゲン第7回大会で正式に制定。
1904(明治38)年、ニューヨークの女性労働者が参政権を求めて集会を開いた日。
日本では1923(大正12)年、社会主義婦人団体・赤瀾会[せきらんかい]が中心となり、種蒔き社の後援で、東京・神田のキリスト教青年会館で婦人の政治的・社会的・経済的自由を訴える演説会が開催されたのが最初だった。
エスカレーターの日
1914(大正3)年、東京・上野の大正博覧会の会場に日本初のエスカレーターが設置され、この日運転試験が行われた。
第1会場と第2会場をつなぐもので、秒速1尺(約30センチ)で動いた。
3月29日に、エスカレーターの振動の為に74才の女性が振り落とされて顔に2週間のケガ、2歳の少女がステップに足をはさまれてケガをした。
日本初のエスカレーター事故だった。
ミツバチの日
全日本蜂蜜協同組合と日本養蜂はちみつ協会が制定。
「みつ(3)ばち(8)」の語呂合せ。
なお、8月3日は「はちみつの日」である。
記念切手記念日
1894(明治27)年、日本初の記念切手が発行された。
明治天皇・皇后両陛下のご成婚25周年を記念して発行され、菊の紋章に雌雄の鶴2羽が描かれたデザインで、紅色で内地用の2銭と青色で外地用の5銭の2種類だった。
バービーの誕生日
1959(昭和34)年のこの日、ニューヨークで開催された国際おもちゃフェアでマテル社がバービー人形を発表した。
現在、150以上の国や地域で販売され、ファッション人形として世界一のシェアを誇っている。
1999(平成11)年の40回目の誕生日には、ニューヨークのウォール街がバービーのテーマカラーであるピンク色一色になった。
関門国道トンネル開通記念日
1958(昭和33)年、下関・門司間の海底道路トンネルである関門国道トンネルが開通した。
全長は3461メートル、工期は21年で総工費は21億円だった。1942(昭和17)年には鉄道トンネルが、1975(昭和50)年には新幹線用の新関門トンネルが開通している。
東京大空襲記念日
1945(昭和20)年3月10日深夜0時8分、東京でアメリカ軍B9爆撃機344機による焼夷弾爆撃があった。
死者約10万人、焼失家屋約27万戸という、第二次大戦で最大級の被害を出した。
陸軍記念日
1906(明治39)年〜1945(昭和20)年
1905(明治38)年、日露戦争の陸の決戦・奉天会戦で日本軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領した。
翌年からこれを記念して「陸軍記念日」となった。
パンダ発見の日
1869(明治2)年、中国・四川省ムーピン(現在の宝興県)の民家で、伝道中のフランス人神父アーノルド・ダヴィトが、白と黒の奇妙な熊の毛皮を見せられた。
これが、西洋でパンダが知られるきっかけとなった。
ダヴィトはパンダのレプリカ標本をパリの自然歴史博物館に送り、その1年後の1870年に、研究を進めたミレー・エドワードが、Ailaropoda-mlanoleucaという学名を附けた。
コラムの日
1751年、イギリスの新聞『ロンドン・アドバイザー リテラリー・ガゼット』が、世界初のコラムの連載を始めた。
サンデーホリデーの日,半ドンの日
1876(明治9)年、官公庁で土曜半休・日曜休日制が実施された。
それまでは、1868(明治元)年9月の太政官布告により、31日を除く1と6のつく日を休日としていた。
しかし、欧米との交易等で不便があったため、欧米と同じ仕組みに改めることとした。
1871(明治4)年から皇居で毎日正午に大砲(午砲・ドン)を撃っており、土曜日はドンとともに仕事が終わることから、丸の内に勤める人たちの間で「半ドン」と呼ばれるようになった。
ドンは全国の都市で行われるようになり、それとともに「半ドン」という言葉も全国に広まった。
また、オランダ語で日曜日を意味するzondag(ゾンターク)が訛って「ドンタク」となり、土曜日は半分が休日であることから「半ドンタク」略して「半ドン」となったとする説もある。
青函トンネル開業記念日
1988(昭和63)年、青函トンネルを通るJR津軽海峡線が開業した。
青函トンネルは、全長53.85km、全長の43%が海底という世界最長のトンネルである。
同時に青函連絡船が80年の歴史の幕を閉じた。
ホワイトデー
2月14日のバレンタインデーにチョコレートを贈られた男性が、返礼のプレゼントをする日。
バレンタインデーのチョコレートに対しキャンデーやマシュマロをお返しするのが一般的になっている。
日本でバレンタインデーが定着するにしたがって、若い世代の間でそれにお返しをしようという風潮が生まれた。
これを受けたお菓子業界では昭和50年代に入ってから、個々に独自の日を定めて、マシュマロやクッキー、キャンデー等を「お返しの贈り物」として宣伝販売するようになった。
この動きをキャンデーの販売促進に結びつけ、全国飴菓子工業協同組合(全飴協)関東地区部会が「ホワイトデー」として催事化した。
そして1978(昭和53)年、全飴協の総会で「キャンデーを贈る日」として制定され、2年の準備期間を経て1980(昭和55)年に第1回のホワイトデーが開催された。
ホワイトデーを3月14日に定めたのは、269年2月14日、兵士の自由結婚禁止政策にそむいて結婚しようとした男女を救う為、バレンタイン司教が殉教し、その一箇月後の3月14日に、その2人は改めて二人の永遠の愛を誓い合ったと言われていることに由来する。
国際結婚の日
1873(明治6)年、政府が国際結婚を認めるとの布告を出した。
靴の記念日
日本靴連盟が1932(昭和7)年に制定。
1870(明治3)年、西村勝三が、東京・築地入船町に日本初の西洋靴の工場「伊勢勝造靴場」を開設した。
陸軍の創始者・大村益次郎の提案によるもので、輸入された軍靴が大きすぎたため、日本人の足に合う靴を作る為に開設された。
万国博デー
1970(昭和45)年、前日に開幕式が行われた大阪府吹田市千里丘陵の「日本万国博覧会(大阪万博)」の一般入場が開始された。
涅槃会
仏教の祖・釈迦が亡くなったとされる釈迦入滅の日。各寺院で釈迦の遺徳を偲ぶ法会が行われる。
元々は旧暦の2月15日だったが、現在では月遅れの3月15日に行われている。
国立公園指定記念日
1934(昭和9)年、内務省が、瀬戸内海・雲仙(現在の雲仙天草)・霧島(現在の霧島屋久)の3か所を国立公園に指定し、日本初の国立公園が誕生した。
国立公園はわが国の風景を代表する自然の景勝地で、環境大臣が指定した公園である。
現在、28の国立公園が指定されている。
漫画週刊誌の日
1959(昭和34)年、日本初の少年向け週刊誌『少年マガジン』『少年サンデー』が発刊された。
当時は読み物が中心で、漫画は少ししか載ってなかった。
精霊の日
柿本人麻呂、和泉式部、小野小町の3人の忌日がこの日であると伝えられていることから。
明治村開村記念日
1965(昭和40)年、愛知県犬山市に博物館明治村が開村した。
博物館明治村は明治の建築物を保存展示する野外博物館である。
ミュージックの日
音楽関係者の労働団体・日本音楽家ユニオンが1991(平成3)年に制定。
「ミュー(3)ジック(19)」の語呂合せ。
日本の音楽文化と音楽家の現状について広く理解を求め、その改善の為の支持を得ようと、全国各地でさまざまな活動が行われる。
カメラ発明記念日
1839年、フランスのルイ・マンデ・ダゲールが写真機を発明した。
この写真機は「ダケレオタイプ」と呼ばれ、長時間露光させるため写真機の前で長い間じっとしていなければならなかったが、大変な人気を集めた。
アカデミー賞設立記念日
1927(昭和2)年、アメリカで映画芸術科学アカデミー(AMPAS)が設立された。
上野動物園開園記念日
1882(明治15)年、日本初の近代動物園として、上野動物園が上野公園内に開園した。
LPレコードの日
1951(昭和26)年、日本コロムビアからLPレコードが「長時間レコード」の名前で発売された。
電卓の日
日本事務機械工業会が1974(昭和49)年に、日本の電卓生産数が世界一になったことを記念して制定。
制定当時は記念イベントを開催していたが、現在では何も行われていない。
国際人種差別撤廃デー(International Day for the Elimination of Racial Discrimination)
1966(昭和41)年の国連総会で制定。国際デーの一つ。
1960(昭和35)年、南アフリカのシャープビルで、人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対する平和的デモ行進に対し警官隊が発砲し、69人が死亡した。
この事件が国連が人種差別に取り組む契機となった。
界中で人種差別の撤廃を求める運動が展開される。
カラー映画の日
1951(昭和26)年、初の国産総天然色(カラー)映画『カルメン故郷に帰る』が公開された。
放送記念日
日本放送協会(NHK)が1943(昭和18)年に制定。
1925(大正14)年、社団法人東京放送局(現在のNHK東京放送局)が日本初のラジオ仮放送を始めた。
東京・芝浦の東京高等工芸学校に仮スタジオを設け、午前9時30分、京田武男アナウンサーの
「アー、アー、アー、聞こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送であります。こんにち只今より放送を開始致します」
という第一声が放送された。
元々は3月1日に放送を開始する予定だったが、購入予定の日本にたった1台しかない放送用送信機が、同じく設立準備中の大阪放送局に買い取られてしまった。
そこで東京放送局は、東京電気研究所の送信機を借り放送用に改造して使用することにしたが、2月26日の逓信省(後の郵政省)の検査で
「放送設備は未完成のため3月1日からの放送はできない」
と判断されてしまった。
既に3月1日から放送を開始すると報じており、また、大阪放送局よりも先に日本初のラジオ放送を行いたいということで、「試験放送」という形で逓信省の許可を受け、なんとか3月1日から放送を開始することができた。
22日には逓信省から正式に免許を受けて仮放送を開始し7月12日に愛宕山からの本放送が開始された。
大阪放送局はその年の6月1日から仮放送を開始した。
世界気象デー
世界気象機関(WMO)が、発足10周年を記念して1960(昭和35)年に制定。
国際デーの一つ。
1950(昭和25)年、世界気象機関条約が発効し、WMOが発足した。
WMOは、加盟諸国の気象観測通報の調整、気象観測や気象資料の交換を行っている世界組織である。
日本は1953(昭和28)年に加盟した。
壇ノ浦の戦いの日
1185(元暦2)年、長州沖の壇ノ浦で、源義経が率いる源氏軍が平家軍を破り、平家一門が滅亡した。
マネキン記念日
1928(昭和3)年、上野公園で開かれた大礼記念国産振興東京博覧会で高島屋呉服店が日本初のマネキンガールを登場させた。
マネキンガールとは、マネキン人形ではなく現在でいう「ハウスマヌカン」のことである。
「招金[まねきん]」に通じるということで、フランス語のマヌカンではなく英語のマネキンという言葉を使った。
世界結核デー(World TB Day)
世界保健機関が1997(平成9)年に制定。
1882年、ロベルト・コッホ博士が結核菌を発見した。
医学の進歩で克服されたかに見えていた結核が、再び猛威を振い始めたことから、結核の撲滅を目指して結核抑圧への協力を世界に呼びかけている。
日本では9月24日〜30日を「結核予防週間」としている。
電気記念日
日本電気協会が1927(昭和2)年9月に制定。
1878(明治11)年、東京・銀座木挽町に開設された中央電信局の開局祝賀会が虎ノ門の工部大学校(現在の東京大学工学部)で開かれ、式場に50個のアーク灯が点灯された。
日本で初めて灯った電灯だった。
聖母マリアの受胎告知の祝日(Lady day)
天使ガブリエルが聖母マリアに救世主(メシア)の母となることを告げた受胎告知の日。
楽聖忌
1827年、ドイツの作曲家ベートーベンがウィーンの自宅で亡くなった。
多くの交響曲を作曲し、「楽聖」と呼ばれた。
3日前、甥のカールを唯一の相続人にするように遺言書を補足し、「諸君、拍手したまえ。喜劇は終ったのだ」という有名な言葉を呟いた。
29日の葬儀には2万人の市民が参列し、宮廷歌手が棺を担いでフンメルら弟子たちがそれに続いた。
しかし、数々の作品を献呈され交際のあった貴族たちは誰も出席しなかった。
カチューシャの歌の日
1914(大正3)年、島村抱月と松井須磨子が起こした芸術座が、トルストイの『復活』の初演を行った。
この中で歌われた「カチューシャの歌」が大流行した。
さくらの日
日本さくらの会が1992(平成4)年に制定。
3×9(さくら)=27の語呂合せと、七十二侯のひとつ「桜始開[さくらはじめてひらく]」が重なる時期であることから。
日本の歴史や文化、風土と深くかかわってきた桜を通して、日本の自然や文化について関心を深める日。
シルクロードの日
1900(明治33)年、スウェーデンの探検家・地理学者のスウェン・ヘディンによって、廃虚になっていたシルクロードの古代都市・楼蘭が発見された。
スリーマイル島記念日
1979(昭和54)年、アメリカ・ペンシルベニア州のスリーマイル島原発で放射能漏れ事故が発生した。
世界初の原発事故だった。
マリモの日
1952(昭和27)年、北海道阿寒湖のマリモが国の特別天然記念物に指定された。
同時に、富山湾のホタルイカ群遊海面、鹿児島県出水市のナベヅル、高知のオナガドリ等も国の特別天然記念物に指定された。
八百屋お七の日
1683(天和3)年、18歳の八百屋の娘・お七が、3日間の市中引回しの上、火あぶりの極刑に処せられた。
前年12月28日の大火で避難した寺で出会った寺小姓・生田庄之介のことが忘れられず、火事になればまた会えると考えて3月2日の夜に放火、火はすぐに消しとめられたが、お七は御用となった。
当時は放火の罪は火あぶりの極刑に処せられていたが、17歳以下ならば極刑は免れることになっていた。
そこで奉行は、お七の刑を軽くする為に「おぬしは17だろう」と問うが、その意味がわからなかったお七は正直に18歳だと答えてしまい、極刑に処せられることとなった。
お七が丙午[ひのえうま]の年の生まれであったことから、丙午生まれの女子が疎まれるようになった。
マフィアの日
1282年、マフィアの名前の由来となったとされる「シチリアの晩鐘事件」が起こった。
当時のシチリア島はフランス国王の叔父であるシャルル・ダンジューの苛酷な支配下にあった。
1282年のこの日は復活祭の翌日の月曜日であり、晩祷の為に教会の前に市民が集まっていた。
そこへフランス兵の一団がやってきて、その土地の女性に手を出そうとしたため、その女性の夫はいきなりその兵士を刺した。
その場に居合わせたほかの市民もフランス兵に襲いかかり兵士の一団を全員殺してしまった。
そのとき晩祷を告げる晩鐘が鳴ったことから、「シチリアの晩鐘事件」と呼ばれる。
この叛乱は全島に拡大し、フランス人は見つかり次第に殺され、その数は4000人以上に及んだ。
この叛乱の合言葉「Morte alla Francia Italiaanela(全てのフランス人に死を、これはイタリアの叫び)」の各単語の頭文字を並べると「マフィア(mafia)」となり、これがマフィアの名前の由来であるという説がある。
シャルル・ダンジューのアンジュー王家はシチリアから追放され、代ってシチリアの支配者となったアラゴン王家との間に20年に及ぶ戦争が起った。
国立競技場落成記念日
1958(昭和33)年、神宮外苑に国立霞ヶ丘陸上競技場が完成した。
敷地面積は22000坪で約58000人の収容能力を持ち、1964(昭和39)年には東京オリンピックの開閉会式の会場になった。
BRICsの外貨準備、G7抜く
2006年3月31日時点で、BRICsの外貨準備が、G7を抜いた。
有力新興国BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)の外貨準備高が3月末時点で主要7カ国(G7)の合計額を上回った。
BRICsの3月末時点の外貨準備は1兆2922億ドル。
G7の外貨準備は合計1兆2539億ドル。
世界最大の外貨準備保有国となった中国に加え、他の3カ国も輸出や海外からの直接投資が増加したため。
高度成長を続ける4カ国への外貨流入は今後も加速し、ドル相場などへの影響を通じて国際金融市場での存在感を一段と増すと予想される。
外貨準備高は政府・中央銀行の保有する外国通貨や金の額で、政府の対外的な支払準備資産として国家の信用力を示す。
G7とは、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本(以上G5)にイタリア、カナダを加え、1986年(昭和61年)から開催されるようになった財務相、中央銀行総裁が経済・金融情勢や政策について意見交換をする会合のこと。
エッフェル塔の日
1889(明治22)年、エッフェル塔の落成式が行われた。
パリのシャン・ド・マルスの広場に立つ鉄塔で、高さは約320m。パリ万博に合わせて建設され、フランス人技師エッフェルが設計した。
教育基本法・学校教育法公布の日
1947(昭和22)年のこの日に公布、翌日から施行され、学校教育の6・3・3・4制が発足した。
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